King Gidora Aesthetic consideration
わたし的キングギドラの美の壺

 NHKの番組風に考えてみました。 あくまでもIMO。私の作品を通してのことです。
 造形の完成後、ポージングが楽しいことに気付きました。それぞれの首の表情をつけるのが面白いのです。


一の壺 「真行草」
 ふと「真行草」を想い浮かべました。ご存じのように元は中国で書体を表した言葉です。このように朱のキングギドラを白い紙の上に置いて光を当ててみると、墨で描いたような影が現れます。実物が「真」。その影が「草」。中国では真が格式が高く正統で、行・草という順位だそうで、「松竹梅」みたいなものでしょうか。それが日本に伝わって独特の美意識で「草」の枯れたすぱっと割り切れない不思議な魅力が重んじられるようになったそうです。私もそういう文化の中で育ったからか、この草書のような影に惹かれます。
韓国ですが、「風の絵師」にも登場するの御真図画。「御真」―格式の高い肖像画の表現は書で言えば楷書でした。
真があってこそ草が生きると感じます。キングギドラの真行草・・・。


二の壺 「類型を探す」
 キングギドラと一言に言っても、映画の年代で様々に変遷して来ているのですね。私のキングギドラのイメージは、より実在しそうな感じと言ったらいいのか、「白亜紀型キングギドラ」というのに近そうです。でも北欧の伝説の竜サラマンダーにも、中国の龍にも似ています。ストローアートを台湾との交流で知ったことや、恐竜が好きなことなど、私の体験に根差していることを再認識しました。


三の壺 「バランス―三に隠された美」
 「三才」というのは「天地人」を言いますが、天と地と人のバランスは、生け花では三角形の頂点の位置をそれぞれに擬えて言います。キングギドラの首も同様にそれぞれに意思があるようにポージングしてバランス良く決まった時は気持ちが良いものです。もちろん元々の基本的な設定(造形)が素敵だと思います。私にとっては、初めて2本足で立たせた作品なのですが、物理的にも重心のバランスがとれていないとしっかりと立てず、見た目に相応するものだということがわかりました。



「天地人」は環境問題であっても大切ですね。


ミス・キングギドラ Miss King Ghidorah

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